なんだか最近、有名人の薬物逮捕が続いていてテレビやネットも騒がしいですね(*_*;
断酒している今、アルコールも依存症のある油断できない飲み物であると考えるようになってきています。
それが、私にスリップ(再飲酒)を阻止している一つの力となっています。
そして、偉大なる気持ちの力『自制心』について考えさせれらました。
お酒をやめるために必要なもの
アルコールをやめるために通院したことも無く、アルコール依存症になった方が一般的にどのような治療をされているのか全く知識が無かったので、少しだけ調べてみました。
詳しくない領域なのであまり突っ込んだ意見は差し控えますが、個人的な意見としてはやめるために何かの薬を処方されるのはなんだか馴染めないです。
ただ、やめるしかないということが結局のところ最終的な答えだと思っています。
今までの長い飲酒習慣を断ち切ろうと決めた時に、それを止めるために何か他の薬を使用したりするのはなんだか違うような気がどうしてもしてしまいます。
ただ、飲酒習慣を断ち切るだけです。
依存症が重度に進んでしまった段階では、強制的に飲めない環境で過ごしてもらうことになるのでしょうが、それでもどこかの段階で自分自身でもう飲まないと決意するべき時が来るはずです。
でなければ、同じことを繰り返す確率は高くなるでしょうから。
自分自身で止める決意を強く持つことが大前提です。
そのために必要なものが、『自制心』だとか『自分を律する気持ち』になってくるのだと思います。
依存症は気持ちの力だけでは治らない?
「いや、薬物に重度に依存した人にたいして精神論は通用しない。」
「薬物中毒は立派な病気だから、気持ちの力だけで説明すべきではない。」
そのような声もたくさんあり、私も一理あると思います。
一理あるというか、正しいご意見であると思います。
ですが、多くの方は自分の気持ちをコントロールすることの影響を過小評価し過ぎているとも思っています。
『自制心』というと、したいことを我慢してストイックに生きる。
遊びたいけど、その時間を犠牲にして退屈な努力にあてていく。
みたいな少しネガティブな受け取り方をされている方も多いと思うのです。
私もそうでしたよ。だからわかります(*^^*)
『自制心』の持つ積極的なパワー
『自制心』という言葉の意味を分かりやすく理解するためには、その反対の状況を考えてみるとすぐに理解できます。
自分を律することの出来ない方とは、欲望のままに生きている方です。
お酒を飲みたいから飲む。
食べたいだけ食べる。
欲しいから買う。
テレビ観たいから見る。
そんな風に、生存欲求に近い動物的な本能のままに生きていくような場合、『自制心』とは正反対の状況と言えるでしょうね。
「欲望のままに」というところがポイントです。
飲みたいから飲んでしまうのです。
飲むべきではないと答えは知っていても、飲んでしまうのです。
一方、『自制心』を持つ人であれば、飲むべきではないという答えに従い飲まない選択が出来る方です。
自分の本当の欲求に、自制心を持って従わせることが出来るのです。
自分自身の主(あるじ)になれるということです。
コントロール出来ているということです。
この『自制心』は、自分自身の目標や理想の人生を送る為の強力な力となってくれると私は思っています。
『自制心』は、あなたの夢を実現させるための強力な味方になってくれるのです。
決して、あなたに我慢を強いる退屈な言葉ではないのです。
断酒はあなたがコントロール出来ているということ
自分自身との約束を守るとか、自分の気持ちの持ち方をコントロールするとか今まで色々と書いてきていますが、これらは全て『自制心』を持つということと同義であると私は理解しています。
断酒自体も、あなたが自分との約束を守っている証となってくれているのです。
今日も一日、あなたが自分の欲求をコントロールして小さな成功を感じながら眠りにつくことが出来るのです。
自制心があれば、行動力も付いてきます。
行動が伴えば、物事は必ず前進します。
そういえば、自分も忙しさに逃げて先延ばししていた事を一つ思い出しました。
早速、今から取り掛かろうと思います。
こうやって、毎日偉そうなことをブログで言っているのですから肝心なエアが行動していないということになると、恥ずかしいですからね(*_*;
本日も、このブログに訪れて頂きありがとうございました(‘ω’)ノ
□『自制心』はしたいことを我慢するだけの言葉ではない
□『自制心』はあなたの夢を実現させる積極的な力を与えてくれる
□『自制心』を持つことにより、人生の主になることが出来る
□人生の主になるとは、人生をコントロール出来るようになること
□人生をコントロール出来ると、欲望に振り回されない