前回の記事では、O様から頂いたメッセージに刺激されて『お酒と性』についてお話しさせて頂きました。
今回お話しすることは前回の記事からの続きとなりますので、まだお読みでない方は、下の記事からお願いします!
⇒ 【お酒と性との関係】断酒することは人生の喜びを減らすのか?
今回は、
『抑えていた欲求から自由にさせてくれていたお酒』
を断ったところからのお話しとなります。
「一体、何が楽しみで生きてるの?」
営業職に携わっている僕は、今でもお客さんとの食事の席があると時々このように聞かれるんですよね。
それはもちろん、僕がお酒を飲まないからです。
二次会で女性がお酌をしてくれるお店に行くことになっても、ウーロン茶を飲みながら退屈そうに過ごしている僕を見て、そのように聞いてくるのです(笑)
断酒によって得られた自由とお金
もう散々言ってきたので、ここで詳しくお伝えする必要もないかと思いますが・・、
断酒によって僕の人生は好転しています(笑)
いつの間にか『お酒という鎖』によって縛られていた僕。
そんな僕が、その鎖を捨ててしまうことで手足を自由に伸ばせるようになったような感覚です。
体も軽く、心も軽い♪
1日という時間の過ごし方が、ガラリと変わったんですよね。
人生は時間ですから、時間の質が変わると人生も当たり前のように変わります。
もうお酒に悩まされることはない。
そう思えることが、新たな自由の始まりでした。
多くの制約から自由になれた断酒5年後の今
5年なんて、あっという間ですね。
あっという間ですが、人生の好転は劇的なものです。
お酒によって消えていた時間が、読書やビジネスの時間へと変換されて5年。
同じように会社員をしている僕ですが、会社での居心地は随分良くなりました。
それはブログという副業によって、生活の為の収入源が増えたからです。
誰かに雇われるという形での収入ではないので、ビジネスに必要な知識はそれなりに吸収してきました。
新たな知識と自信が、社内での僕の過ごし方に何らかの変化が出ていたのでしょう。
上司や周りの方たちの僕に対する接し方にも変化が表れ、過ごしやすくなったんですよね(^^♪
直接的な表現を使えば、待遇が良くなりお給料も上がったということです(笑)
断酒さえすれば、誰でもお給料が上がるとは断言できませんが・・・、
何かを捨てれば何かを得られるというのは、誰にでも当てはまる法則のようなものなんですよね。
会社の飲み会の日でも、お酒のことは気にせずに車で行くことができます。
少し前なら、バスや電車の時間を気にしながら朝の身支度を行い、
飲み会の間は終電に遅れないかと、時計をチラチラと眺めていたあの頃。
そんな些細なことでも、多くのエネルギーを使っていたこと。
お酒をやめてから、ハッキリとそれらを認識できるようになりました。
自由だなぁ♪
新たな自由を手にした僕は、この5年で人生もすっかり好循環に回転しているのです。
【断酒前の過去へのノスタルジー】時間は動き続ける
ここから先の内容は、僕がブログに書くべきかどうかとても迷っていた部分です。
正真正銘、5年間という期間、お酒を飲んでいない断酒者の僕であることは間違いはありません。
そしてこのブログを読んで下さる多くの読者さんたちは、
これから断酒を始めようとしている人たち、そして断酒に挑戦中の方たちであるはずです。
そんな読者さんに、書くべき内容ではないかなと感じていることではあるのですが・・・、
こんな本音を持つ断酒者もいるということで参考の一つになればと思い、全てをお話しすることにしました。
5年経っても、お酒への思いが完全に断てるわけではないという僕の中の事実についてです。
新しい自由が引き寄せた新たな制約
更地に一軒の新築を建てる光景を想像してみて下さい。
頑丈な地盤に一軒の家。
その為にまず必要なのは、基礎です。
柱を立てる為の基礎が必要ですよね。
決して動かない基礎。
この土台があるから、大工さんは安心して柱を立て、棟上げを行い屋根を仕上げていくことができるのですが・・・。
人の体や気持ちは、このようなものとは異なるものなんです。
一度カチッと決まってしまえば、あとは安定してその場で固定される土台とは少し違うのです。
人生が続いている間は時計の針が止まらないように・・・、生きている間は、
人の気持ちもあっちに揺れ、こっちに揺れているものだということを僕は痛感しています。
それが生きているということなんですよね。
肉体も、自分でも気づかない変化を刻々と起こしています。
断酒者には、断酒者の波があるということです。
断酒して、こんな風に人生が好転したぞ!
そのように言っている僕であっても・・・、
例えば間もなくやって来るお盆や、もう少し先にやって来るお正月・・・、
こうした時期になると、お酒を懐かしくなる飲酒欲求の波もやって来るものなのです。
欲求を抑えている自分に気付く時
消極的なかつての僕が、性的な欲求を抑えていたように、
そしてお酒によってその抑えていた蓋を緩めることで家族ができたように・・・、
今の僕は、飲酒という欲求を抑えているのです。
もちろん、一日の大部分はもうお酒のことなんて意識に上がって来ることはありません。
それでも、本能的な欲を抑えている自分も存在しているのですよね。
中年太りに悩まされている僕は、食という欲求を我慢しています。
綺麗な女性を街中で見ることがあっても、それ以上の欲求は抑えています(^-^;
お盆やお正月、お酒と関わっていた過去の時間を懐かしく思い、少しだけ飲んでみたいなという気持ちが生じた時も、僕はその欲求を抑圧しているのです。
飲酒欲求などもう無縁。
そんな調和のとれた時期もあれば、欲求を抑えるべき戦いの時期もある・・・。
これまで僕は、読者さんたちのことを考えて、そんな調和の時期の良い面ばかりを書いてきましたが・・・、
そんな僕でも、戦いの時間があるということを今、告白しています。
「なぜだ?なぜ、いまだに僕は・・・。もう5年も過ぎたというのに。」
自由を求めてお酒を飲み、お酒の束縛から解放されようと断酒を決意して・・・、
そうして手にした自由が、右に揺れ左に揺れる僕の欲求を鮮やかにして、
僕は再び手足に鎖を繋がれたような瞬間を味わうことがあるのです・・・。
この続きは、次の記事にしたいと思います。
自由に憧れてお酒を始めたはずなのに・・、
自由の心が断酒へと決意させ、
断酒後に新たな鎖を感じてしまっている僕が今、何を考えているのか?
性欲は抑圧すべきなのか?
食欲は抑圧すべきなのか?
睡眠欲とは戦うべきなのか?
いよいよ次回の記事で、現時点での僕の結論をお伝えしていきます。
お楽しみに!