もう一度、あの時に歓喜した自由の喜びを味わいたい。
前回の記事では・・・、
断酒して獲得した自由に喜びを感じていた自分、
そんな自分が再び飲酒への意識を感じることによって、不自由さを感じ始めていること・・・。
そのような内容をお話ししました。
この記事は、前々回、前回からの続きの記事となります。
まだお読みでない方は、下の記事からどうぞお願い致します!
前々回の記事 ⇒ 【お酒と性との関係】断酒することは人生の喜びを減らすのか?
前回の記事 ⇒ 断酒によって手にした新たな自由、そして新たな縛り
今回の記事は、『人が持つ抗えない欲』についての現時点での僕の考え、締めくくりのお話しとなります。
お酒と性欲について考えていた僕が
「もう一度、自由をこの手にしたい。」
そのように感じ始めていたこと。
でもそれは、欲求のままに行動することではないということ。
欲求のままに行動することで得られる自由は、新たな束縛であることを既に経験しているからです。
戦いと調和。
この2つの時期を行ったり来たりしているのが、自分の人生なのかなと感じるのです。
振り子のように行ったり来たりしながら前進している
お酒への意識が消え、感情を挟む余地なく断酒生活をしていること。
これこそが本当の習慣化だと僕は思っていました。
断酒への努力など全く意識することなく、お酒も空気のような存在であれば、敵視する必要もなく、戦う理由もどこにもありません。
そのようになれてこそ、本物の断酒者なのだと。
僕よりもずっと長く断酒している先輩方のブログを拝見すると、本当にお酒のことなど全く無関心で、意識などしていないということが書かれています。
僕もそれを理想形だと信じ、そして過ごしてきたのです。
でも・・・、
どうしても意識してしまう時もあるのですよ(^-^;
もちろん四六時中ということではなく、1年に2~3度くらいのことなのですが。
「何が楽しみで、仕事しているのですか?」
そう聞かれると、一瞬迷いが生じてしまうような感覚が・・・。
抑圧すべきなのだろうか?
欲求と戦うべきなのか?
調和の中の自由を楽しんでいた自分が迷い始める時があるのです。
欲を捨てることはできないと開き直る
こうして書いていると、飲酒への欲求というのは手強いものだと思います。
性欲や食欲、そして睡眠欲。
こうしたものは、人が生きていくための力に繋がるものなので、そもそも否定することなんてできないものなんですよね。
食べ過ぎると健康を損ねますが、生きていくための栄養は必要です。
いたずらに眠り過ぎると活動の妨げになりますが、よく活動する為にはよく眠る必要があります。
生命を連綿と維持していくための性欲ではありますが、そこに没頭してしまうと品格のなさが表に出てしまいます。
結局のところ、ゼロか百かの問題ではないんですよね。
飲酒という快楽を覚えている以上、その欲求が登って来ることも自然なことなのです。
それでも真ん中の道を歩む。
右に左に揺れながらも、真ん中の道を歩むこと。
振り子は揺れるのが当たり前。
そんな開き直りが、僕を安心させてくれたのです。
ストイックに考えすぎる時は思考を真ん中に戻す
お酒のことなど、一切考えない。
一滴でも飲んだら、もうそれはスリップ。
また振り出しに戻ってしまう。
それも、事実の一面であるとは思います。
僕自身、少しでもお酒を飲んでしまったら・・、
「またあの辛い禁断症状を過ごさなければならなくなる。」
そんな恐怖心はどこかにありますから。
ただ・・・、
だからと言って、昔のようにあまりに神経質になることはなくなりました。
「あの冷たいビール、飲んだら美味しいだろうな・・。」
そう思っても、それが自然だと思うようにしています。
あまりに反アルコールに傾き、アルコールを敵視するのもバランスを欠いているように感じるからです。
お酒のことなど、なにも考えない日が大部分です。
それでも、お酒のことが頭にチラつく時もあります。
今でも、そうです。
生きている以上、振り子は右に揺れ、左に揺れるのです。
今が右に揺れているなら、ある程度上がった後で必ず左に向かって行くこと。
これを知っていれば、大切なのは反対側の方向を意識することではないこと。
このことに気づきます。
色々な欲求は水面上に出てくることは、自然なこと。
それが、生きているということなのですから。
それを無理に抑圧しようとせず、
無いものとして無視するのではなく、
ただ真ん中の道に戻ること。
右に揺れ左に揺れる振り子の先端ばかりに気を取られず、
振り子そのものが前進していること。
真ん中を歩めていること。
ここが自由へのポイントだと思うのですよね。
もう一度自由を
断酒直後に感じていた自由への喜び。
飲酒前に感じていた自由への喜び。
飲酒している時にすら感じていた自由への喜び。
もう一度、自由をこの手にしたいと僕は思いました。
飲酒だとか断酒だとかで、がんじがらめになっている状態とは正反対の世界にある自由です。
本能に打ち克ち、本能と共に生きる。
そんな真ん中の道です。
本当の自由は成約の中にこそあるということ。
こうあるべきとか、こうあってはならない。
そんなことに縛られず、自由であること。
それは難しいことではありません。
人それぞれ個性があり、人それぞれに違いがあることを知るだけです。
スリップしてしまっても、気にしないでご自分を許してあげて下さい。
僕は僕の断酒人生をこれからも過ごしていくだけですが、
私は私であり、あなたはあなたでしかないのです。
性欲や飲酒への欲求。
本能に近いところからやって来る欲求には、抗い難いものがあります。
どのような欲求がやってきても、そこは人それぞれ。
ささやかな間違いを犯すことも、あるでしょう。
些細な過ちは、それが大きくなってしまう前に消してしまえばいいだけです。
私には私の、あなたにはあなたの真ん中の道がある。
それでいいと思います。
カチカチと動いている時間の中で、右に揺れ左に揺れる僕たちの思い。
その中で、真ん中の位置を模索しながら歩いていくこと。
これが、心のコントロール、人生をコントロールしていくことなのだと僕は思います。
その揺れている振り子の幅の中にこそ、本当の自由がある。
人生好転への道、自分自身の支配者としての道がある。
わずかながらも、いまだに浮かんでくる僕の飲酒欲求。
そんな欲求に少なからず罪悪感を抱いていた僕でしたが、今は何とも思いません。
性欲が顔を出すこともありますが、もう動揺もしません(^-^;
そこから先、どのように真ん中へハンドルコントロールしていくのかが、僕の力量なのですから。
ゲームみたいなものですね(笑)
もしよろしければ、これからも一緒に素敵な断酒生活を送っていきましょう♪