娘の誕生日に酒無しディナー
12月は娘の誕生月です(^^)/
妻も仕事を持っていて、我が家では普通の土日や祭日に家族全員が休みが取れることがほとんどありません。
なので、当日はある程度融通の利く私が午後お休みを頂き、全員で夕食に行くことになりました。
九州に住まれている方なら、御存知である方は多いかもしれません。
『梅の花』というところです。
そこで、お誕生日のお祝いを兼ねて夕食を取ることにしました。
ちょっと調べてみましたが、全国各地に店舗があるみたいですね(^.^)
お豆腐をベースとした料理を出すお店で、とても美味しくて健康的な食事を楽しむことが出来るお店です。
お肉のような脂が強い食べ物よりも、あっさりとした食べ物が好きな娘の好みの料理をたくさん出してくれるお店です(^^♪
初めての酒無し、娘の誕生日
当然ですが、飲み物の注文から取りに来ます。
私は、梅ジュースを注文しました。
「飲み放題もそれ程、高くないんだなぁ。」
と未練を感じることも無く、メニューを見ていました。
ですが、
湯葉揚げ等の熱々料理が出されてくると、
「ビールと会いそうな料理だなぁ。」
と感じてしまいましたね(^-^;
多少の飲酒欲求が来るのは当たり前のことだと受け止めて、もう気にしていないことにしています。
あれだけお酒を飲んでいた私ですから、ある程度の欲求は生じるのです。
コースメニューだったので少しずつ料理が出されてきたのですが、一つ気付いたことはお酒無しだと、食べるベースが本当に早いということです(^.^)
既に来店されていた他のお客さんよりも、私たち家族の方が先に食事を終えましたから。
純粋に食べることを楽しむ時間を過ごすことが出来ました。
私の飲酒欲求も、ある程度お腹が満たされてきた段階になるとどこかへ行ってしまっていましたよ。
最後のご飯とデザートが出てくる時になると、
「ビール飲んでた頃だったら、もうお腹いっぱいになってこの辺りになるともう食べられなかったね。」
といった会話も出てきました。
楽しむという能力が無くなってしまっていた!?
料理を本当に美味しそうに食べて、楽しい表情を浮かべていた妻と娘を見ながら、
「自分は普通に楽しめる力が退化してしまっていたのかもしれない。」
と感じていました。
ノンアルでの、ちょっとした贅沢な外食。
断酒後初めての経験となるので、ある程度の飲酒欲求が来ることはわかっていました。
ビールを飲んでいた頃の楽しさもまた、記憶に残っているのです。
ですが、お酒無しでも心から楽しんで幸せそうに食事をしている二人が目の前にいます。
「お酒が無いと楽しめなくなっていた自分は、楽しみを感じるという能力が退化してしまっていたんだ。」
そのように感じました。
素面の状態だと楽しむことが出来なかったから、外側からアルコールを摂取していたのではないかと。
この目の前の二人のように、自分で喜びを感じて楽しんでいく能力を取り戻さなきゃ!
何かを外側から摂取しないと楽しめないなんて、不便で仕方が無いです。
美味しい食事と二人の笑顔が、私の劣化してしまっている楽しむという能力を再び思い出させてくれそうです(^^♪
翌朝になって感じたこと
さて、少しの飲酒欲求を感じながら過ごした贅沢な食事の時間と娘の誕生日。
その翌朝、出張に出るための身支度をしながら強く再確認しました。
「もし、昨日お酒飲んでたら今は最悪の気分だったろうな。」
やっぱり、飲まなくて良かった!
そう強く感じました。
軽い体を感じながら昨日の楽しかった時間を思い出し、そのように確認しました。
飲んだら絶対に後悔する。
その後悔は、肉体的な痛みよりも強く自分を襲うことだろう。
お酒を楽しく飲むことが出来た翌日、
「あぁ、昨日の酒はいい酒だった。」
このように感じることも昔は確かにありました。
今回は、
「あぁ、昨日はいい時間だった。本当にいい時間を過ごすことが出来た。」
そんな独り言を車中で言ってしまいました(^^♪
お酒を飲まれていたあなたであれば、同意して下さる方も多いかもしれません。
たとえ、
「昨日はいい酒だった。」
と感じる朝を迎えても、素面の頭で考えるとどこか虚しさを感じていました。
「もう、再現することの出来ない酒の場だよね。」
そんな気持ちでしょうか。
翌日同じ種類のお酒を飲んでも、同じような気持ちは戻ってこないことを知っているからです。
でも、今朝感じた
「あぁ、昨日は良い時間だった。」
その気持ちは、飲酒している時とは違った種類のものでした。
いつまでも、いつまでも自分の中で熟成されて、鮮度を保っているのです。
そしてこれから先もまた、ノンアルで更に楽しくやっていけるのだろうなといった希望も感じることができたからです。
虚しさといった気持ちは全くありませんでした。
少しの達成感は感じましたよ(^^)/
ノンアルが当たり前になっている私だと思っていましたが、まだ達成感を得ることが出来るのですね。
ノンアルだからこそ実現出来た至福の時間
良い時間を過ごすことが出来ました。
出来れば来年も・・・
同じ時間は戻っては来ません。
でも、同じ幸せなら感じることは出来るはず。
湯葉が出来るのを待ちながら、
「次の湯葉は私のよね?」
と聞いてきた娘の表情を見た時。
その時に感じた父親の喜びは、君にはまだわからないだろうね。
素敵な時間をありがとう。
お酒ではなく、時間を楽しむことが出来たよ。
お酒を手放して、より深い喜びを知ることができた父より。
□ちょっと贅沢な料理に感じた少しの飲酒欲求
□お腹が満たされていくと徐々に消えていく飲酒欲求
□お酒に頼り、楽しむ能力が劣化していた
□アルコールに頼らずとも、より深い喜びを得ることが可能
□娘の成長が寂しくもあり幸せでもある(^^♪