自分の人生で最も長かった7ヶ月と言ってもいいかもしれません。
プライベートも無く、普通なら交流の無いタイプの方々との生活。
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夢が叶う寸前の小さな失敗も今では懐かしく思える
そんな日もようやく終わりがやって来て、解放感から飲み過ぎた私。
私は20代前半でしたが、10代の方もいれば40代の方もほぼ同じ条件で働いていました。
若い年代の方にとっては、結構な収入だったと思います。
家賃もそんな環境のアパートでしたから、給料から引かれてはいましたがとても安いものでした。夕食も弁当を注文しておけば、確か200円程度で購入出来ていました。
こちらは、あまり頻繁に利用しているとすぐに飽きてしまうので週2回程度に抑えていた記憶があります(^-^;
その気になれば、かなりの蓄えも出来る環境ではあったのです。
でもそれが、難しい。
始めは色々な夢を持ってやって来るのですが、そんな生活を送るうちに
「もういいかな、これだけの経験ができて生活ができるのなら・・・。」
と方向修正してしまった人も実際にいました。
そんな環境の中で、初心を忘れずに生き残ることが出来た自分が嬉しかったのです(^-^;
言い訳にはならないでしょうが、その解放感から飲み過ぎてしまい・・・
7ヶ月振りに戻った地元、九州
急いで身支度をしようにも二日酔いの為、体が自由に動きません。
前日にまとめておいた荷物を抱え上げ、羽田空港までの電車に乗り込みました。
結局、予定の時刻の飛行機に乗ることは出来ませんでした(*_*
余計な出費が発生したなぁと、前日の後悔もありましたが
「まぁ、仕方ないかな。」
と言った気持ちでもありました。
ところが運が良かったのか、受付カウンターの方が次の便に乗れるように手配をしてくれたのです。
空席があったので可能だったみたいですが、助かりました(^-^;
そうして、7ヶ月ぶりの地元へ。
100万円が記載された通帳を握りしめて、地元へ戻った時に母から渡されたものは・・・
50万円ほどの現金でした。
「1円も使わないで、今まで貯めてきたお金だから。」
「うん・・・。」
ぎこちなさが残っていた親子の関係
心の中ではとても嬉しかったことを覚えています。
(やった!これで半年くらいは長く向こうに居ることが出来る)
そんな気持ちもあり感謝の気持ちもあったのですが、素直に「ありがとう」とはどうしても言えませんでした。
中学生の頃の家庭環境のゴタゴタで、溝のようなものが出来ていた母と私でした。
あまり思い出したくもないことでもあるのですが、反抗期の真っただ中にいた10代前半の時期もあったのです・・・
二十歳を過ぎた私であったのですが、素直にお礼を言うことが当時の私にはどうしても出来ませんでした。
「うん。」
と一言だけ発して、黙ってお金を受け取ってしまいました。
そんな私の性格も知っているのか、母親の方もそれ以上は何も言ってはきませんでした。
どうしても照れもあって、この部分は難しいですね(^-^;
人それぞれ、人生の課題を背負っているのでしょうね。
夢を実現し、固い殻を破った日
サンフランシスコの空港に着陸し、住むことになっていたシェアルームに入った時もまだ自分が夢を実現している実感はありませんでした。
個室を手配する余裕は無かったので、ルームメイトのいるタイプの部屋でした。
「どんな人がルームメイトなんだろう?」
私が部屋に入った時、その方は外出されており私一人でした。
少しの不安を感じながら荷物の整理をしているとき、2時間程経過した時にその人が戻ってきました。
トントン、とノックの音がします。
「Hello! Nice to meet you.」
「Hello…, my name is…日本人の方ですか?」
偶然にも、ルームメイトは日本人の方でした。しかも福岡出身の同い年(^.^)
固い殻が破れ、高く飛び立つような解放感溢れる喜びの日々の始まりでした。
嬉しさを噛みしめながら
語学学校に通い始めた私は、最初こそ満足な会話は出来ませんでしたがコツコツと書き続けていた手紙がここで活かされたのです。
「こんな風に言いたいなぁ」
と感じていた表現、イディオムが頭に入っていたのであとは慣れを待つだけでした。
2週間ほどで、英語で会話をする楽しみを心から満喫出来ていたのです。
もちろん、片言ですよ。
それでも、日本語以外の言葉でこうして気持ちを通い合わせている。
しかも、異国の人達と。
それ自体が楽しかったのです。
毎日が遊園地に通っているかのような、そんな日々でした。
週末には、少し遠出して観光です。
観光と言っても、お金のかからない公共の交通機関を使って街を散策するだけです。
時には、1台のレンタカーを数人でシェアして遠出したりもしました。
何もかもが新鮮で、ちょっとした光景に文化の違いを感じたりエネルギーを感じます。
フィッシャーマンズワーフの青い空に飛行機雲が一筋。
あの6畳に2人が住んでいた部屋と、今立っているこのアメリカ大陸。
まさに、対極の環境に身を置いている自分が今ここにいる。
「嬉しい。もうここで死んでしまっても後悔はない。」
バーに入り、ビールを飲んだ後の帰り道でそんな気持ちになったりしていました。
全てが報われた。
もうすべてが報われている。
あの7ヶ月の全てが、今のこの環境に変化してくれた。
そんな気持ちを体全体で感じていました。
いつの間にか目的を見失っていた自分
全てが新鮮。全てを吸収している。
世間の目だとか、常識という言葉に縛られないお国柄。
「皆がこうしてるからではなく、自分がやりたいからこうしている。」
個人を思い切って表現することが評価されるお国柄です。
若かった私は、そんなところが好きでした。
自分がしたいからする。
私は日本人ですから、一番好きな国はやはり日本です。
そんな私ですが、臆することなく自分自身を表現してアピールする。
そんな文化にその国の強さを感じたのです。
そうして毎日が充実した生活を送っていたのですが・・・
数ヶ月後に、ちょっとした壁を感じるようになります。
「あれっ?こうして楽しく生活は出来ているけど・・・。」
毎日のように友人たちとお酒を飲みながら過ごしていた日々でしたが、帰国後の自分のイメージが全く出来ていないことを感じる瞬間に襲われることが多くなってきたのです。
う~ん、今日で一区切りつけるつもりだったのですが(*_*;
何か中途半端なので、もう一回だけ続きを書かせて下さい。
よろしければ、明日もまた読んで下さいね! 明日こそは、完結だぁ~
□試練の7ヶ月の後にやってきた夢の実現
□その試練の時期の経験も活かされた語学留学
□毎日が楽しく、充実した解放感一杯の毎日
□友人たちとのお酒を飲む毎日
□数か月後に時々感じるようになったかすかな不安