相変わらず、コロナウイルスの影響で出張先でも人数が少なくいつもと違う光景を感じています。もう既に影響は出ていますが、私の従事している仕事にも確実にマイナスの影響が出てくるでしょう。
人が動かないのですから、当然お金の動きもなくなってしまいます。
売り上げも減ってしまうでしょうね。
こんな状況の時、以前の自分であったら何を考えていたかなと想像してみました。
きっと、会社が何とかしてくれる。
給料が入るから、自分はいつもの仕事さえしておこう。
つまり誰かが何とかしてくれるから多少の辛抱は必要であっても、まぁ大丈夫だろうみたいな思考だったでしょう。会議の席では、大変な状況だと声が上がればウンウンと首を縦に振りながら聞く。でも結局は、会社が何とかしてくれる。
そんな思考です。
過去に同じような状況を経験が当てはまるとすれば、熊本の大地震かもしれません。
私は福岡でしたが、夜中に家が揺れて愛犬もかなり吠えていた記憶があります。
翌日は、大きなニュースとなって熊本での災害を知ったのです。
熊本のお客さんとの電話も当時は繋がりませんでした。
あの時の自分が当時何を考えていたか、思い出してみました。
会社の方が不安を感じているはず
このような状況として感じることは、より不安に感じているのは会社側の方であるのではないかということです。
売り上げが少なくなっても、給料の支払いは必要です。
支払いもあれば、社員を休ませる必要もある。
稼働も少なくなるのに、売り上げが無ければ手持ちの社内留保は減っていくばかり。
自分の貯金が減っていく生活が不安であるように、いくら余裕があっても手持ちが減っていく状況は不安なものです。
そしてこのような不安が事実であるとしても、それを社員へ知られることは避けたいはずです。本当にマズイ状況であるときほど、社員に知られることを避けようとするはずです。
これは、家庭のレベルで考えてみてもそうだと思います。
もし私の収入に不安が出た場合でも、子どもには極力知られないようにするでしょう。
子どもの方は学業の方へ専念するべきですし、余計なマイナスの情報を与えたくないという心理です。
これと同じで、会社の方でも社員に余計な情報を知られることによって士気が下がってしまうことを避けようとするはずだからです。
決定的な2つのマインドの違い
前置きが長くなってしまいましたが、社員と会社の意識の違いを例えとして書きました。
『例え』と書いたのは、全ての社員がそのようなマインドではないですし、また世の全ての会社が上に書いたようなものではないからです。
ここで言おうとしていることは、両者のベースにあるマインドの違いです。
この違いが決定的に重要なポイントとなるような気がするからです。
先ほど書いた、社員と会社の場合であれば両者のベースにあるマインドは以下のように異なります。
一つは、『欲しい』・『もらう』・『してもらう』といったマインドです。
そしてもう一つは、『提供する』・『与える』といったマインドです。
社員の方は、会社に給料を払ってもらう。
何があっても、会社が何かしてくれるだろう。
会社の方は、社員の生活の安心を提供する。
毎月の安定した給与を与える。
表現すると、このようになります。
『提供する』側と、『受け取る』側。
どちらかのマインドがベースにあるのです。
社員であっても、『与える』マインドで行動できる
もしかしたら、私は無意識に『してもらう』マインドでずっと行動してきていたのかもしれません。会社員としても、そして税金を納めている福岡県の住民としても(^-^;
県が何かしてくれて当たり前。
会社が社員に『提供』することは当たり前。
そこまで露骨ではなくても、どこかにそのような気持ちが隠れていたのです。
ですが、今回のような騒動の中でよく考えてみると『してもらう』・『受け取る』というマインドは危険であると感じるようになってきます。
ハッキリ言うと、『与える』・『提供する』マインドの方が豊かな人生を築くために必要な考え方だと思うのです。
そして、『与える』マインドで自然に振る舞っている方が私の目にはとてもカッコよく映り、そして尊敬出来るのです。
『受け取る』側のマインドだと、どうしても出てくるのは不平や不満です。
十分にサービスしてくれない。
要求しているものよりはるかに下のレベルしか、提供してもらえない。
お金を支払っているのに、それ相応の対価を受け取れない。
このような不満です。
これが、『与える』マインドになると表現はどのように変わるでしょうか。
出来るだけ公平で努力に見合ったものを提供するには、どうすべきだろうか?
売り上げに不安な環境だが、どうすれば少しでも安心できる実績を会社に『与える』ことが出来るだろうか?
お客様が『欲しい』ものをどうやって把握し、それを『提供』出来るだろうか?
『与える』マインドであれば、不平や不満が出てくる余地が無くなることに気が付きます。
それは、意識のベクトルが自分ではなく他人様の利益の方へ向かっているからです。
お酒をやめて『与える』マインドが素直に入ってきた
因果関係はわかりませんが、この『与える』というマインドがお酒を止めた自分にすんなりと入ってくるようになっています。
なぜだかは、よくわかりません。
お酒という一つのこだわりを捨て去った結果、自分へ向いたベクトルが一つ無くなったからかもしれません。
もちろん、飲酒している時もある程度の『与える』マインドは持っていました。
ただ断酒8ヶ月経過後の今、自分の中にある『与える』マインドと『受け取る』マインドの比率が大きく変わってきています。
『与える』・『提供する』方への比重がどんどん増してきているからです。
昔の自分であれば、
「そんなマインド持ってたら、こっちが先にスッカラカンになるよ。」
と即座に疑問を感じていたことでしょう。
でも実際は、『与える』マインドをベースに持っていた方がずっと楽で気持ちにも余裕が出てくるのです。
それは、「他者からの助けを期待し過ぎることなく、自分をより信頼していく」ようになったと表現を変えてもいいかもしれません。
『断酒』した方が楽である理由
お酒を止めたいと思われている方にとって、機会飲酒への憧れはあると思います。
私も実際、それが出来たら最高だなと思っているからです(^-^;
ただ私にとっては、『断酒』の方がずっと楽なのです。
色々と余計なことを考える必要も無く、そしてメリットも大きい。
これは、『断酒』することによって一つの荷物を降ろした時に、自分へ向かうベクトルが他者へと向かうことが理由であるかもしれません。
お酒が飲みたい自分の事ばかりを意識する必要がなくなるからです。
そして、自分以外の家族・会社の方へ意識が向かうようになります。
これが、『提供する』・『与える』マインドの始まりです。
自分以外のことを考えるようになるのです。
そして自分自身を深く見つめることで、本当の意味で自分に正直になれるからです。
それが結果的に、自分の利益にも繋がるのではないかと思います。
そして人生の好転にも(^^♪
少なくとも、心が豊かになれている自分を発見しています。
□『与える』マインドと『奪う』マインドがある
□『与える』マインドの方が、楽な心境でいることができる
□そして自分の能力をもっと向上させたいと思うようになる
□断酒すると、この『与える』マインドが抵抗なく入ってくる
□メリットは、心が豊かになれること(多分この先、物質的にも)